炎症期とは
傷を受けると、損傷した血管の攣縮や血小板の凝集に始る止血機転によって血栓ができ、創面からの出血は止まります。このとき損傷を受けた組織や血小板などから、ヒスタミン・プロスタグランディン・ブラディキニンなどの血管作動物質が創周囲に放出されます。この血管作動物質は毛細血管壁の透過性を亢進させる作用を持ちます。その結果、血管壁細胞間の結合が緩くなり、そこから白血球や血漿が創周囲および創面へと出てきます。
血漿の漏出によって創周囲には浮腫が起こりますが、創面には白血球が集合します。まずは好中球が重要な役割をし、創傷内の細菌を捕獲し殺していきます。この時期には血小板や好中球からグロースファクターが分泌され、白血球の創内への遊走をさらに刺激します。このとき好中球に少し遅れて創面に現れるのがマクロファージです。マクロファージも創傷内の細菌を貪食しますが、創内の微小な異物もマクロファージが貪食して処理します。このように受傷直後から創内の清浄化が進むのです。これらは生体が持つ感染防御機構です。
受傷後の止血から、血管透過性の亢進、グロースファクターによる創傷内への白血球の遊走、そして創内の清浄化によって細菌や異物が無くなって行く過程、これらの受傷早期にみられる一連の生体反応期を炎症期と呼びます。
この炎症期は、このあと創面に肉芽組織を盛上げ表皮化していくために必要な処理過程です。近年、汚染創や慢性創において創傷面の壊死組織を除去し、感染をコントロールすることで肉芽増生が速やかにおこるための創面環境を整えるという意味で、wound bed preparation(創面の清浄化)の必要性が強調されています。実はこれは我々医療者が行うべき処置法ではあるのですが、実は我々の体が本来持っている自然治癒力のうちの「炎症期」の働きそのものなのです。
創面消毒の実験
さて、このように巧みにできた自然の働きに対し、受傷早期に医療者は創面の消毒をおこないます。この消毒の意味について考察してみましょう。
外傷創は汚染されており、創面には細菌が付着しています。これを消毒するともちろん創面の細菌数は減少します。しかし、同時に炎症期の細胞である好中球やマクロファージも消毒剤によって障害を受けます。創傷面に露出した組織の細胞も障害を受けます。これら障害を受けた細胞は微小な壊死組織となります。さて、ここで消毒による細菌数の減少という消毒のメリットと、創面組織および炎症性細胞の死滅による生体の感染防御機構の破壊によるデメリットのどちらが重要でしょうか。
これについては、1982年にRodeheaverらがArch Surgに発表した論文が有名です。モルモットの背中に傷を作り、細菌を塗布し一方はイソジンで消毒し、一方は生理的食塩水で洗浄するのみとしたのです。直後の細菌数は消毒群で顕著に減少していましたが、4日目の創観察では、イソジン消毒群では全例感染していたのに対し、生理的食塩水洗浄群では1例も感染がみられませんでした。つまり、消毒による感染防御機構の破壊(免疫力の低下)によって、例え細菌数の減少があっても感染が成立してしまったのです。創面の消毒は感染発症因子と証明されたのです。
消毒と創感染発症のメカニズム
冷静に考えてみると、全ての消毒薬は蛋白質(アルブミンを含む)と結合すると、速やかにその活性を失います。創面に散布された細菌は直ちに創面の細胞や異物に拡散します。細菌の周囲は蛋白質豊富な浸出液で被われます。このような状態に対し、いくら消毒薬でこすってもほんの表面しか消毒できません。細菌数は著明に減少しても、ゼロからはほど遠いのです。したがって、消毒による生体の感染防御機構の破壊の影響が深刻な結果をもたらしたのです。
私がこのRodeheaverの論文を初めて読んだ頃、実は私は消毒信奉者でした。第一線救急病院の駆け出しドクターで、毎日のように腹膜炎を併発した急性虫垂炎の手術をしていました。閉腹時には腹膜を縫った後、イソジンで何度も強くこするように腹壁を消毒してから筋膜や皮膚を縫合していました。術後は皮下膿瘍発症率が高く、何とか感染率を下げたいと消毒の回数を増やしたり、より殺菌力の強いヒビテンアルコールを用いてみましたが、一向に感染率は改善しませんでした。この論文を読み、強い衝撃を受け、直ちに腹壁の消毒を止め、生理的食塩水による洗浄のみにしたところ、皮下膿瘍発生率が著しく低下したのを覚えています。
創傷面の消毒は、意味が無いだけではなく大変有害であり、それは正常な炎症期の反応を障害するためです。創面に対しては、細胞間液と同じ組成からなり細胞に一番優しい洗浄液である生理的食塩水で十分に洗浄し、できるだけ創内の異物を除去することが大切です。また、創感染は創周囲皮膚などの汚染部からの細菌によるものが一番多いため、創周囲皮膚も綺麗に清拭洗浄することが大切です。
さて、炎症期が終わると創面が肉芽で被われる増殖期になります。増殖期に働く細胞は、炎症期後期にマクロファージから放出されるグロースファクターによって創内に遊走し分裂が刺激されます。増殖期の肉芽組織では毛細血管が豊富であり、細菌感染は一般的に起りにくい状態です。受傷期より創感染が起こりにくいのですから、もちろん増殖期においても創面の消毒は有害無益であることに変わりはありません。