比較的軽い糖尿病患者の全身麻酔下手術に際し、外科から周術期の血糖管理依頼がありました。患者と家族に、「血糖コントロールにインスリンを使いますが体調回復後には注射は不要になります」と話したところ、強く拒まれました。拒否の理由は、インスリンを始めたら生涯継続が必要であると聞いているからとのことでした。手術創や炎症の回復後はインスリン中止可能であり、ストレス下での血糖管理にはインスリンが必須である理由を説明し、最終的には受諾いただきましたが、理解を得るのにかなりの時間を割きました。「必ず一生継続となる」というのは、あくまで民間伝承、言わば迷信です。私が若かった頃、40年前はインスリンへの誤解問題は日常茶飯事でした。何故、当時はそんな思い込みが多かったのでしょうか。インスリン注射の質や種類、あるいは注射デバイスの使い勝手の問題もありましたが、インスリン本来の作用や役割への理解不足が原因であったと20年ほど経って気付きました。昔はSU剤という強力な経口血糖降下剤を大量に服用しても血糖値が下がらないとさらに増量し極量の内服、それでも危険なくらいな高血糖が続くと初めてやむを得ずインスリン注射を開始しました。その結果として、永遠にインスリン注射が必要で、一旦始めたら注射を生涯止められない状況に陥っていました。
しかし、その後、内服薬が効きにくくなったと判断したときに早朝インスリン導入をした患者は一旦インスリンで血糖値が改善するとその後どんどんと血糖値が下がり、インスリン注射量が減量され、最終的にはインスリン中止後に内服薬が非常に効きやすくなっている事実が解ってきました。実際、強力な内服でも効果なく高血糖が長期間続いた後の患者はインスリン導入で血糖値が改善しても、そのままインスリン注射を続ける必要があり、逆に早期インスリン導入の患者の多くは血糖値改善後に内服薬治療へ移行できました。
インスリンは膵臓のβ細胞で合成・分泌されるホルモンです。高血糖であるということはβ細胞が全力で頑張っても十分なインスリンが出せない状態であり、血糖値が下がらないのでβ細胞は絶えず頑張るようにと叱咤激励され続けて疲弊していきます。結果としてますます膵β細胞はインスリンを出せなくなってしまいます。このβ細胞の疲弊を改善する確実な手段は、外からインスリンを注射して血糖値を下げてあげることです。膵β細胞は長年の酷使から解放され、休息できます。疲弊から解放され、休息の結果、β細胞のインスリン分泌が回復してきます。そして外部からのインスリン注射が不要となり、内服薬も効きやすくなるのです。
逆に、疲弊したβ細胞を叱咤激励するSU剤を増量するとβ細胞は疲弊から、ついには細胞死を迎えます。疲弊状態は可逆的であり回復可能でも、細胞死はもとに戻せない不可逆的な状態です。β細胞は100万個と言われ、疲弊細胞も細胞死の細胞も混在していますが、大多数が細胞死に陥ってしまっていたら、もはやインスリン注射は永遠に必要です。疲弊してきたと思ったときには細胞死が進行しないように早期にインスリンで血糖コントールし、改善した後にインスリンを内服薬へ切り替えてあげるのが、膵臓にも身体にも優しい治療と言えるのではないでしょうか。
「糖毒性解除」という言葉があります。通常は血糖値が高いとそれに見合うインスリンがβ細胞から分泌され血糖値を下げます。血糖値が高いとインスリンが出るのは当然のように思われますが、逆に血糖値が高いとβ細胞が弱り、疲弊し、ますますインスリンが出ない状態が起こることがあり、これでは糖はβ細胞への毒物のようです。糖毒性です。この糖毒性から解放するのが糖毒性解除であり、強力な内服薬でも血糖コントロールが困難と判断したら、短期間の入院によるインスリン注射での糖毒性解除をお勧めします。
最近、SGLT2阻害剤という経口血糖降下剤が使用されるようになりました。尿から糖を降ろすことにより高血糖を改善させる薬剤であることから、膵臓への負担はありません。日本では現在6種(7剤)のSGLT2阻害剤が発売されており、この薬も糖毒性解除に利用されることがあります。ただ、インスリン作用不足が高度の時には危険な副作用(正常血糖ケトアシドーシス)などの可能性もあり、重症の場合の糖毒性解除はインスリンが安全で確実です。
今回のテーマ、「インスリン注射は内服に変更可能か?」は、2型糖尿病の多くは可能ですが、細胞死が進行した2型糖尿病では無理です。また1型糖尿病や妊娠中、2型でもシックデイや手術・大怪我・高熱・感染症など高度ストレス時、副腎皮質ホルモン治療時などはインスリン注射が必須です。